江戸時代には寛文頃(一六六〇年代)一時佐倉藩領となったが、中期以降は旗本鈴木氏の知行地になったと推定される。明治二十二年に豊富村の大字となり、昭和三十年に船橋市車方町に変わった。
車方の語源についてはこれまでに、①地区内の小川にあった水車から地名が付いた、②曲輪(くるわ)の方、つまり城砦の土塁等があった方の意、等の説が出されているが、私見ではその可能性はほとんどない。
語源で問題となるのは前記の「ふるまか(が)た」で、もしこれが「くるまかた」に転化したのなら、③ふる→崩壊地形、ま→場所、がた→丘斜面の肩のような部分の複合語、④ふる→古、ま→馬、がた→方で古い時代の牧場関連地名、も考えられる。
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