最初は高野(こうや)である。現在船橋地域で「こうや」の付く町名は高野台のみであるが、飯山満町二丁目は古くは高野といい、現在でも地元ではそれが通用する。
この飯山満の高野は江戸時代は上飯山満村の内であった。上飯山満村は高野・本郷・中野木で構成され、それぞれが別の神社を持ち、半ば独立の村のようになっていた。小字より広い集落の名であったのである。
一方、高野台が町名となったのは昭和五十六年で、それまでは八木ヶ谷の小字に過ぎなかった。八木ヶ谷には高野、高野台、高野崎、鳥高野と「高野」の付く小字が四ヶ所もあった。
「こうや」は中部、関東、東北に広く見られる地名で、大半は中世~近世初期の開墾地に付けられており、飯山満の高野も八木ケ谷の高野もそれに該当すると考えられる。
高野台は八木ケ谷本村から望むと高い野であるから地名になったとする説があるが、これは漢字にとらわれたもので、元来は新耕地の「こうや」の上の台地の意と考えられる。多くのこうやは漢字では荒野の方が語源に近いのである。
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