町名の駿河台は元は東駿河台・中駿河台・西駿河台に分かれており、古くは五日市村、後には宮本町の小字であった。その後、昭和六十二年に東・中・西駿河台を中心とする宮本町五・六丁目と、飯山満町一・二丁目の一部が住居表示されて新町名になったものである。
一方の中野木の駿河台は、地元のわずかの人しか知らない旧地籍上の地名である。
この二つの駿河台には、それぞれ次のような地名伝説がある。
宮本側の駿河台は、戦国時代に千葉親胤の部将宮内駿河が砦を築いた所で、それが地名の起こりだという。
中野木側の駿河台は、駿河大納言(徳川忠長)家くずれの家臣が、この地を領有したために付いた地名だという。
「するが」の地名語源については諸説あり、①洲・処の訛りで砂浜の目立つ地形、②摺・処で崩壊地形や浸食地形、説があり、外に③アイヌ語のトリカブトの毒スルグの訛り、④チャム語の雑居人地帯、⑤マレー語の楽園、説まである。
船橋市の駿河台は、伝説では駿河国・駿河守に関連する二次地名ということになるが、私見では②説に当てはまる一次地名とするのが妥当だと考える。
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