塚地名では、バス停の名に残る「聖人(しょうにん)塚」が比較的知られている。この名は元は滝台新田飛地の字であったが、後に飯山満町に編入された。ここにはかつてかなり大きな塚があり、上に墓石らしい石があったというが、今はその跡形もない。塚の位置は飯山満町一丁目北端の所であった。だから今のバス停とはだいぶ離れている。
咲が丘二丁目には、かつての八木ヶ谷の字・上人塚の元になった塚が残っている。
一般的に「聖人塚」「上人塚」には、旅の偉い坊さんがその地で亡くなったのを葬った塚という伝説があるが、実際は納経のために各地を巡る僧や、放浪の乞食僧等を葬ったものが多いと考えられる。(塚地名の内、旧西海神の字「法事塚」は古代末~中世の夏見御厨に起源を持つ可能性がある。というのは荘園の四界を石や塚で示した例があり、その「傍示塚」が「法事塚」に転化した地名が知られているからである。)
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