船橋市咲が丘と鎌ケ谷市東鎌ケ谷境には高山(こうざん)坊の地名があった。ここも高山坊という山伏がいたことから地名となったものである。やはり傍らに池があり、ここは江戸時代には幕府馬牧の馬の水呑み場であった。高山坊については馬込の項で記したように、『下野牧一件』という古文書の中に名が見え、延宝年間(一六七〇年代)以前の人物であることが知られる。やはり、人家から遠く離れた林の一角に堂(小屋といった方が事実に近いか)を建てていたものであろう。
蛇足ながら、「坊」は僧侶の居所から転じて、僧侶や山伏のことをいうようになったものである。
地図を見る