船橋の先土器時代

 船橋に初めて人々が移り住んだのは、今から2万年ほど前のことでした。これは、更新世の末で、古富士山や箱根山の噴火により、関東一円に火山灰が降り続き、関東ローム層の堆積がほぼ終了したころです。また、最後の氷河期に当たり、気候は今よりずっと寒冷でした。このため海面が下がり、現在の東京湾の大半は陸地となりました。そんな中で、人々は野生の獣を追って、わずかに緑の茂る泉のほとりに、生活の場を求めて移り住んだのです。
 当時は先土器時代と呼ばれ、人々はまだ土器の作り方を知らず、石や木や骨でできた道具を使って、狩りをしたり、草や木の実を採って暮らしていました。
 

石器のいろいろ

 
 この時代の人々の足跡をとどめているのが、西の台遺跡(二和西1)です。場所は、海老川の支流・金杉川によって開かれた台地の北側にあります。ここでは石器が大量かつ集中的に出土しました。また、焼けた礫(石ころ)も出て、火を使ったことも確かめられています。このほか市内では、八人割(藤原8)、夏見大塚(夏見2)、海神台西(海神5ほか)、印内台(西船3)などの遺跡から、先土器時代の遺物が見つかっています。