縄文人のマイホーム跡

 縄文草創期の住居跡は、先土器時代の名残をとどめ、洞窟や岩陰を利用した仮住まいが多く、長く定住することは少なかったと思われます。市域ではまだ、当時の住居跡は発見されていません。しかし、土器の発明と前後して登場する有舌尖頭器(槍先・上の写真)は、しばしば発見されており、この時期、狩人たちが獣を追って、下総台地に訪れたことを示しています。
 

市内で出土した有舌尖頭器

 
 やがて、縄文早期に入ると、地面を掘って建てた竪穴式の住居が普及します。定着的な生活の始まりです。ムラ(集落)も形成されました。市内最初の住居跡は、佐倉道南遺跡(前原西4)から発見された、縄文早期の竪穴住居跡4軒です。