盛んになった漁業

 前期に引き続き中期の初めまでは気候は温暖で、海面は高まりましたが、やがて冷涼な気候に向かい、海岸線も後退し、徐々に現在の地形に近づいていきました。
 千葉県にはこの時期の遺跡が多く、市内にも多数あります。市内の代表的な遺跡は、中期の集落跡が全面発掘され、全国的に注目を集めた高根木戸遺跡(上の写真・西習志野1)や、豊富な遺構や遺物で当時の暮らしを知る手がかりを多数与えてくれた海老ヶ作貝塚(大穴南4)などです。
 

高根木戸遺跡(現在の高郷小学校敷地)

 
 高根木戸遺跡は、舌状台地上にある大規模なもので、典型的な海辺の集落といえます。調査の結果、何世代にもわたる生活の場で、集落は一時期に数軒で構成され、長い年月の間に形成された遺跡とわかりました。この遺跡からは、竪穴式住居跡75軒が発見されています。住居跡は中央部を取り巻くように配置され、真ん中は広場になっていました。埋葬施設などと見られる小竪穴も100基以上発見されています。また、犬3頭が折り重なるように埋葬されており、犬が猟犬として家畜化されていたこともわかりました。
 海老ヶ作貝塚からは、住居跡86軒、小竪穴90が発見されています。
 

台地上で中央部を取り囲むように連なって発見された竪穴式住居跡(高根木戸遺跡)


 これらの遺跡から多数見つかるものに、土錘(土器片などを利用した土製のおもり)があります。これは、魚をとる網に使われたと考えられており、すでに本格的な網漁が始まっていたようです。漁撈の道具としては、このほか、浮子に使われた軽石、角や骨でできた釣り針やヤス(魚を剌してとる漁具)も、わずかながら出土しています。
 

市内出土の土錘。両端の溝は網にくくりつけるためのもの?

 
 漁業につきものの船は、市内ではまだ見つかっていません。しかし、県内では八日市場市や安房郡丸山町などで、縄文時代の独木舟が発見されています。当時の貝塚からは、スズキやクロダイなどの骨がたくさん出てきますが、人々は、豊かな海の幸を求めて船で沖に出、力を合わせて漁をしたのでしょう。