縄文人の住居は、地面を掘り下げて床にし、柱を立てて屋根をふいた竪穴式住居が主流でした。竪穴式住居は、夏涼しく、冬暖かく、私たちの想像以上に快適な住まいです。
市内の住居跡を見ると、縄文早・前期のころは、床面は方形です。前期に入ると家作りの技術が向上し、一辺4~5メートルとそれまでに比べ大きくなりますが、掘り込みも浅く、柱の跡も整ってはいません。
中期には、床面は円形に近くなり、掘り込みも、柱穴も深くなり、屋内に本格的な炉を備えるようになりました。
後・晩期の床面は、ほぼ円形で、直径7~8メートルとさらに大きくなり、柱穴も壁面に沿って整然と配置されるようになります。掘り込みは浅くなって平地式に近くなり、発掘には苦労することとなります。市内では、晩期の住居跡は見つかっていません。
この住居様式は、弥生時代以降も長く引き継がれました。