船橋の地形

 船橋がほぼ現在の地形となったのは、弥生時代から古墳時代にかけてのことでした。船橋は平たんな地形とよくいわれますが、それでも中央部を中心とした比較的高い部分(台地)と、海寄りに広がる低い部分(低地)に分かれています。
 

市中央部の航空写真(上方が北)。複雑に入り組んだ台地と低地の様子がよくわかります

 
 台地は、関東ローム層に広く覆われた下総台地。高さはおよそ10~30メートルで、標高30メートルの習志野台2丁目を含む新京成線辺りを境に、北の河川は印旛沼に、南は東京湾へと注ぎます。また、赤土と砂の層が幾層も重なってできているため、良質の地下水が蓄えられ、崖の下に泉を作り、小さな湧き水となっています。湧き水は、今も二宮神社(三山5)や滝不動(金杉6)などで見られ、このうち滝不動のものは、海老川の源ともいわれています。
 次に海寄りの地形ですが、本町付近の低地は、砂洲と砂丘からできています。海老川などの河川は、砂洲を切って海に注ぎ、河口には船の通行に適した澪ができました。海神、夏見、宮本の台地に囲まれていた湾は、砂洲の発展で次第にふさがれ、干潟となり、やがて低湿地になりました。市場付近に見られる草炭層や、天沼、蛇沼の地名に残るように、最近まであった沼は、その名残です。
遺跡の分布