稲作とともに広まった弥生文化もまた、西から東へと伝えられてゆきました。弥生時代は、使用されていた土器の型式などにより前・中・後の3期に区分されていますが、現在までのところ、関東地方では中期以降の遺跡しか発見されておらず、この時期に弥生文化が根を下ろしたものと思われます。
関東地方では、弥生時代に入っても、縄文文化の影響が残っていたようで、後期の初めごろまでは、文様などに縄文式土器の名残をとどめたものが多く、縄文式と区別のつきにくいものも少なくありません。後期末になって初めて、幾何学的な文様を持つ簡素な弥生式土器が登場します。関東地方で発見された最も古い弥生式土器は、中期のもので、市川市須和田遺跡で最初に発見されました。
市内でも、中期以降の土器しか見つかっておらず、住居跡が発見されるのはようやく後期に入ってからです。しかも、先行する縄文時代とは対照的に、発見された遺跡数は大変少なく、また、部分的な発掘しかなされていないため、当時の市域の様子は不明な点が多いのです。