弥生時代は、日本が中国や朝鮮と、盛んに行き来をし始めた時期でもあります。勢力のあるクニは、進んだ文化を受け入れようと、早くから使者を遣わしました。こうした動きは、弥生文化の先進地である北九州などで活発になりました。当時の日本は「倭」と呼ばれ、中国の古い歴史書にもその姿を現すようになります。
有名な邪馬台国の登場する『魏志倭人伝』によると、ムラの統廃合が進み、弥生時代の終わり(3世紀ごろ)には、強大な連合部族国家が成立していたようです。しかし、西日本より文化的におくれた地域となっていた東日本では、強大な勢力の誕生も遅れることとなりました。