鉄器の普及と生産の向上

 6~7世紀以降の遺跡からは、出土する石器の量がぐっと減り、このころから鉄器が広く使われたことがわかります。また、土師器に混じって須恵器(登り窯を使って高温で焼き上げる高度な土器)も発見されるようになりました。
 木で作られた鋤や鍬に変わって鉄製農具が使われはじめると、生産力が高まって、人々の暮らしは豊かになったことでしょう。しかし、律令体制が整う前とはいえ、土地を支配する豪族に農作物を納めたり、古墳築造の労働力として駆り出されたりと、庶民にとって、決して楽なことばかりではありませんでした。
 また、古墳時代の遺跡で忘れてはならないものに、滑石製品を加工した工房跡があります。この工房跡は、関東地方各地で発見され、市内では、外原遺跡、夏見台遺跡などで見つかりました。工房跡は、通常の住居跡と大差ありませんが、製品のほか、半製品や原石、仕上げ用の砥石や軽石が出土することなどからわかります。市内で発見された滑石製品には、勾玉、臼玉、三種の神器をかたどった模造品などがあります。これらは、装飾品や副葬品に使われました。
 
 

三種の神器(鏡・剣・勺玉)をかたどった石製模造品(市内出土)

 
 さらに、糸をつむぐための紡錘車も出土し、機織りが一般化していたことがわかります。