夏見台地の竪穴式住居跡の時代区分
上表は夏見台地で発掘された住居跡を時代別に区分したものです。これらの図と表からも分かるように、この台地上では、古くは縄文時代からムラが営まれていますが、古墳時代後期に入ると、住居跡がぐっと増え、市内の同時代の他の遺跡と同様、ムラの規模が大きくなります。一戸一戸の住居の規模も大型化し、大きいものは床面(方形)の一辺が8メートルにも及び、壁も高く柱穴の数も増え、がっしりしてきます。
このように人口が増加し、住居が大型化したのは、やはり、鉄製農具の普及などに伴って生産力が向上したためでしょう。ところが、古墳時代末期になると、住居はやや小さくなり、奈良~平安時代に入ると、一辺3メートル前後と極端に小型化が進みます。律令体制に組み込まれ、税の取り立てが厳しくなったためでしょうか。
ところで、当時夏見台地に住んだ人々は、家が古くなったり、子どもが大きくなって独立したりすると、少しずつ移動しながら新しい竪穴式住居を築いたようです。これは、同じ古墳時代後期の住居でも、台地のへりに沿った東側では古い時期のものが、中央部では新しい時期のものが多いことからもわかります。また、住居跡の中には、住み替えに伴い、意図的に焼き払われたと見られるものもあります。