夏見台地のムラが最も隆盛だったのは、6~7世紀でした。これは、土師器の使われた時代の中で最も長く続いた「鬼高期」と呼ばれる時期(40ページ参照)で、カマドに乗せ米を蒸す甑という道具も作られるようになりました。また、縄文中期以降すたれていた網漁が再び盛んになったようで、当時の市内の遺跡からは、土玉や土錘が多数見つかっています。
人々の生活は専ら台地上で営まれていたようですが、埋め立て前の西船の勝間田の池(現在の勝間田公園)から土師器が出土するなど、低地遺跡が存在していた可能性も残されています。
甑の登場