須恵器から陶器へ

 当時の人々に使用されたもう一つの土器に、須恵器があります。登り窯を用いて高温で焼き固められたネズミ色の須恵器は、朝鮮半島から伝来したもので、土師器にやや遅れて5世紀の半ばごろから生産されるようになりました。
 当初は、古墳の副葬品など特別の用途にしか用いられませんでしたが、各地で量産されるようになると、日常用具としても使われるようになり、鬼高期以降は、市内の住居跡からも土師器に混じって出土するようになりました。
 須恵器が普及すると、製法など土師器作りにも強い影響を与えました。もともと、須恵器と土師器には本質的な差はなく、粘土の質と焼きの温度によって違いが生じるわけで、粘土に恵まれないと温度を上げ切れず、土師器と須恵器の中間的なものに仕上がります。船橋で発見された須恵器は、典型的な須恵器とはやや異質なものが多くなっています。
 時代が下がって平安朝のころになると、須恵器の製法がさらに発展して陶器が生まれました。初源的な陶器は、市内でも国分期と見られるものが見つかっています。こうして、土師器主流の時代から、土師器・須恵器、陶器混在の時代へと移り変わっていったのです。
 
須恵器(印内台遺跡出土) 本郷台遺跡出土の国分期の陶器