大化の改新

 日本の古代史の流れを大きく変えた事件に、中大兄皇子、中臣鎌足らによる大化の改新(645年)があります。この事件を契機に、日本は、唐(中国)の文化や制度を取り入れて律令国家への道を歩み始めます。
 改新の政治は、天皇を中心とする政府がすべての土地と人民を支配するという考え(公地公民制)のもとに、軍制、税制、戸籍の編成など、次々と新しい政策を打ち出しました。しかし、急激な改革には不満や不安も強く、大化の改新から50年以上経過してできた大宝律令(大宝元年・701年)によって、ようやく律令制度が完成し、改新の政治は、広く地方にも及ぶようになります。