ここで、当時の墓制を見てみましょう。大化の改新に伴って様々な習俗の改革が行われ、葬儀については薄葬令が出されて、豪族たちに古墳を造ることが禁じられました。また、仏教思想に基づいて、初めて火葬が行われるようになり、古代の墓制は大きな転機を迎えました。しかし、薄葬令はなかなか徹底しなかったようで、都から遠く離れた下総では、岩屋古墳のように7世紀後半になっても依然として古墳が築かれていました。
市内の本郷台遺跡などからは、土葬墓に混じって奈良時代の火葬墓が発見され、当時市内でも火葬が行われていたことがわかります。本郷台からは、奈良時代のものと思われる蔵骨器(火葬した骨などを納める容器)を埋納した火葬墓も見つかっています。
奈良時代のものと思われる土師器の蔵骨器(本郷台遺跡出土)