奈良時代は、貧富の差が大きく、また、現代のように交通や通信が発達していないため、都と地方、貴族と庶民とでは、その生活に雲泥の開きがありました。
都の貴族たちは、位や官職に応じて、たくさんの収入や特典が与えられ、唐風の天平文化を享受して、ぜいたくな暮らしをしていました。一方、市域を含む下総国の国司は、どのような暮らしを送っていたのでしょうか。
国司は、いうなれば現在の県知事といったところですが、行政ばかりでなく、政治・里畢・裁判など、一国の運営を総括し、あらゆる面で絶大な権力を持っていました。当時、国は大・上・中・小の4段階に分かれていましたが、下総国は大国とされ、国司には、五位上に相当する者が任命されました。
正五位の役人の年収は、現在の額(日本放送協会発行『よみがえる平城京』による)にすると約2800万円で、かなり豊かだったことがわかります。ちなみに、正二位、左大臣クラスは、約1億2500万円でした。反面、下級役人は、最下位の少初位の年収で230万円、それにも達しない下働きのクラスが多数を占めていたといいますから、楽ではありませんでした。