戸籍の始まり

 奈良時代から平安時代の前期にかけて、律令制がとられていた時代は、公地公民制の下に、中央、地方を問わず人民の一人ひとりが国家の組織の中に組み込まれていました。
 政府が人々をしっかりと掌握し、口分田を与えたり、各種の税や兵役を課す基礎として、6年ごとに作ったのが戸籍です。
 下表は、養老5年(721年)に作成された下総国葛飾郡大島郷・孔王部佐留(あなほべのさる)一家の戸籍です。一家の総勢は15人。現在の家族数に比べればかなりの大所帯です。このような直系親を中心とするまとまりを房戸といいますが、大島郷では1房戸は平均9・8人で、佐留一家は当時でも大家族のようです。房戸がいくつか集まって郷戸を形成し、この郷戸を単位として班田や徴税が行われました。
 
律令制下の戸籍