重い税負担に苦しんだ農民たち

 戸籍の末尾には、家族数の合計、租税を納めるべき人間かどうか(課・不課)の別、一家に与えられる口分田の面積などが記されています。
 班田収授法によると、口分田は6歳以上の公民男子には約23アール、女子にはその3分の2が支給されました。また、税として、口分田には租(収穫の約3パーセント)が、成年男子には庸(10日間の労役に代わる布など)、調(各地の産物)、雑徭(60日以下の労役)が課されました。
 租はそれほど大きい負担ではありませんでしたが、庸調を都へ運ぶのも納める側の負担とされ、さらに、成年男子は兵役のほか、防人(北九州での西方防備、任期3年)や衛士(都の警備、同1年)として遠く任地へ行かされるなど、農民にとって貴重な労働力が奪われることが多く、苛酷な負担となりました。
 当時の戸籍には男子に比べ女子の占める割合が異常に多いケースが見受けられます。重い負担を免れるため、死んだり蒸発したことにしたり、女子として届けたのでしょう。