目次
/
第1章 原始・古代の船橋
/
貴族と農民の暮らし
初めての銭貨登場
律令国家は、和銅元年(708年)の和銅開珎を手始めに、10世紀の半ばまで12種類の銭貨(皇朝十二銭)を造りました。流通を促進させるため、銭を蓄えて朝廷に納めた人には位階を授けたり、役人の給与の一部を銭で支払ったりしましたが、都のほか、地方では国府の周辺でしか流通せず、律令国家の衰えとともに鋳造されなくなりました。市内では、印内台遺跡で富寿神宝が1枚見つかっているだけです。
印内台遺跡出土の「富寿神宝」。銭貨は遺跡の年代決定に大きな手がかりとなります
当時の市内の遺跡からは、鉄製の鋤、鍬などが発見され、農民の間で鉄製農具が広く使われるようになったことが分かります。市内では、まだ製鉄遺跡は発見されていませんが、鉄製品の修理などをしたと思われる野鍛冶跡が、外原遺跡などで見つかっています。また、糸紡ぎ用の鉄製の紡錘車も出土しています。