興味深い神社名の由来

 ところで、「意富比」の名の由来については、その読みとも関連し、いろいろな説があって興味が尽きません。簡単に紹介すると、①大火あるいは大炊の意で食物神とする説、②夕日を真正面に受ける高台に位置することなどから夕日と見る説、③古代の有力氏族である多氏の守護神とする説、④大日の意で、この地方の農民がもとから信仰してきたお天道様(太陽神)とする説などがあります。
 ④説は、従来の諸説に批判と考証を加えた論文として近年発表され、注目を集めました。この説を裏付けるかのように、市内ではかつて天道念仏が盛んで、また、大神宮には大日如来像を表した懸仏が所蔵されています。「神社に仏様?」と奇異に思われるかも知れませんが、日本古来の宗教である神道は、伝来の仏教の影響を強く受けています。平安時代に入ると神仏習合が進んで、本地垂迹説(神は元々インドの仏で、日本の衆生を救うために神に姿を変えて現れたとする説)が盛んになり、仏像をご神体としてまつることも行われるようになりました。
 

船橋大神宮が所蔵する本地懸仏2面のうちの1面。直径約34cm

 
 ところで、平安末期に伊勢神宮の御厨(荘園)となった夏見御厨には、神明宮(御伊勢様)がまつられていました。この神明宮が御厨の衰退などにより、意富比神社に合祀されて、現在の船橋大神宮へと至ったと想定されます。