④説は、従来の諸説に批判と考証を加えた論文として近年発表され、注目を集めました。この説を裏付けるかのように、市内ではかつて天道念仏が盛んで、また、大神宮には大日如来像を表した懸仏が所蔵されています。「神社に仏様?」と奇異に思われるかも知れませんが、日本古来の宗教である神道は、伝来の仏教の影響を強く受けています。平安時代に入ると神仏習合が進んで、本地垂迹説(神は元々インドの仏で、日本の衆生を救うために神に姿を変えて現れたとする説)が盛んになり、仏像をご神体としてまつることも行われるようになりました。
船橋大神宮が所蔵する本地懸仏2面のうちの1面。直径約34cm
ところで、平安末期に伊勢神宮の御厨(荘園)となった夏見御厨には、神明宮(御伊勢様)がまつられていました。この神明宮が御厨の衰退などにより、意富比神社に合祀されて、現在の船橋大神宮へと至ったと想定されます。