二宮神社

 市内の神社のもう一つの代表格は、二宮神社(三山5)です。古くから近郷近在の総鎮守とされ、未年と丑年に行われる有名な「三山七年祭り」には、今も船橋、千葉、習志野、八干代の各市に及ぶ地域から九つの神社の神輿が繰り出します。
 この二宮神社は、『延喜式』に見える「千葉郡寒川神社」の最有力候補とされています。ほかに、千葉市寒川町の寒川神社を式内社と見る向きもありますが、今のところ二宮神社の方が分かいいようです。
 サムカワは聖なる流れを意味するとされていますが、相模の寒川神社同様、二宮神社には豊かなわき水で知られた清泉があり、名こそ変わっているものの寒川神社にピッタリといえましょう。これに対し、千葉市の寒川神社は、もとは干潟で新田に開拓した場所といわれています。
 また、当時は国司が着任すると国内の主要な神社に詣でることが義務づけられており、その順序から一宮、二宮などという名が起こりました。下総国の一宮が香取神宮であるのに対して、二宮であった寒川神社が二宮神社となったのではないかとも思われます。
 二宮神社は、江戸期は三山明神と呼ばれ、さらに古くは「乾元二年」(1303年)と銘の入った釣り鐘に「総州二宮社壇」と刻まれていることから、鎌倉時代にはすでに二宮神社と呼ばれていたことがわかります。しかし、ズバリ式内社であるという確証はなく、今後も議論が続くことでしょう。
 

現在の二宮神社