将門の死後間もなく書かれたといわれる『将門記』によると、将門は、官位を得ようと都に上り摂関家に仕えましたが、現実は厳しく無官のまま帰郷。その後、東国で勢力を広げようとしていた他の豪族との戦に次々と勝ち、また、こうした争いごとの仲裁役としても実力を発揮し、一躍武勇をとどろかせるようになりました。
しかし、一族の領地争いをきっかけに起こった将門の乱は次第にエスカレートし、ついに東国を支配した将門は「新皇」を名乗り、都の貴族たちを震撼させましたが、天慶3年(940年)、平貞盛、藤原秀郷らによって悲劇的な死を迎えました。
平将門一代記(船橋市西図書館蔵)