武芸に優れているばかりでなく、世に受け入れられない者の代弁に努めたという将門は、その壮絶で悲劇的な死とも相まって、長い間、英雄として人々に語り継がれてきました。将門が、重い負担を強いられ続けた東国の人々の代弁者でもあったからでしょう。関東一円には、将門にまつわる多くの場所や伝説が残っていますが、市内にもいくつかの将門伝説があります。
そのうち一つは、将門の妻・桔梗の前が、各地を逃れ歩いた末海神山にたどり着き、将門の霊を供養していたが、将門を思うあまり、船橋沖の遠の澪に身を投げた。その霊が大鮫となって人々を襲い、恐れさせたというものです。
また、中央卸売市場内(市場I)にある「将門の松」は、戦乱に明け暮れていたある日、将門がその根に腰をおろして体を休めたといわれています(現在の松は何代目かのもの)。
死後多くの人々に支持された将門は、武士が認知される前に歴史の舞台に登場した、早過ぎた武将ともいえますが、将門を倒したのも武士であり、この事件をきっかけに、貴族の世の中から武士の世の中へと着実に変化してゆきます。