そのような千葉氏にとって、深刻な在地の状況を打開するための願ってもない機会が、頼朝の挙兵でした。平治の乱(平治元年・1159年)で父義朝が敗北し、伊豆に配流されていた頼朝は、平家方の来襲を見越して挙兵しますが、それに先がけて父の代からつながりのある千葉氏らに、味方となるよう使いを送っていたと考えられます。平氏政権下で苦境にあった千葉常胤は、その要請に一族の命運をかけて応えたのです。
頼朝の挙兵は治承4年(1180年)8月17日、山木館を襲撃して始まります。ところがその緒戦の勝利もつかの間、23日の石橋山合戦で大庭景親軍に大敗を喫してしまいました。そして命からがら山中を逃げのびて、28日に神奈川県真鶴岬から小船で安房に向かい、翌日鋸南町(館山市説もある)にたどり着きました。