鎌倉時代の文化財で最も注目されるのが板碑です。板碑は埼玉県荒川中流域等で採れる板状に割れる石で造られた供養塔婆で、13世紀半ばから16世紀半ばころに大量に造られました。船橋市内では、これまでに年号のわかるものが52基発見され、そのうち6基が鎌倉時代のものです。最古は小室町所在の弘安元年(1278年)のものです。鎌倉時代の板碑に彫られた種字(梵字)は阿弥陀如来か阿弥陀三尊で、当時阿弥陀信仰が地方農民腦へも広く浸透していたことをうかがわせます。
阿弥陀三尊種字の板碑延慶3年(1310年)西船常楽寺出土
鎌倉後期は日蓮の活動した時代でもあります。日蓮は船橋市に隣接する市川市若宮の富木常忍の館に長く滞在したことがありますが、船橋周辺では日蓮宗系の板碑は南北朝時代にならないと出現しません。
さらに天台密教の『以玄旨灌頂之血脈伝鈔』の奥書には、文保元年(1317年)に「下総州船橋安養寺」で書写したとあります。安養寺の位置は不明で、後述の石塔との関連も不詳ですが、かなりの規模の寺院があったことを想定させます。
さらに、年号等は刻まれていませんが、鎌倉時代後期の作と推定されている石塔に、宮本西福寺の五輪塔と宝篋印塔があります。これらはともに県の文化財に指定されており、特に五輪塔は古風さ、美術的価値とも房総の遺品中、最右翼に位置づけられています。
鎌倉後期の造立と推定される五輪塔(右)と宝籤印塔(宮本・西福寺)