南北朝時代の文化財

 市内の南北朝時代の文化財で、現在知られているものはすべて石造文化財です。最も数の多いのは、78ページでも取り上げた板碑で、南北朝時代の年号が刻まれているものが15基もあります。中でも飯山満町3丁目の光明寺墓地にある阿弥陀三尊の種字を彫った板碑は、高さが217センチメートルもあり、彫りもみごとで市の文化財に指定されています。また、南北朝時代の板碑では「南無妙法蓮華経」の字を刻んだ日蓮宗系のものが8基もあります。出土地区は旧村名でいうと小室、高根、寺内(現在の西船7丁目周辺)等です。このうちの高根、寺内には江戸時代以降日蓮宗の寺堂はありませんでしたが、古くから法華信仰のあったことが板碑から想定できます。
 
小室町本覚寺の題目板碑の断片。法華信仰の普及ぶりを示しています

 
 板碑以外のものは、古和釜町東光寺にある宝篋印塔の基礎部が数少ない中世年号石塔です。「権律師覚口逆修 明徳二年口口」と刻まれていて、1391年に僧侶が、自らの死後のための供養塔として生前に造立したものであることがわかります。
 
古和釜町東光寺の宝篋印塔基礎部

 
 文献には名の見えない村々から、これらの石塔類がかなり出土しているということは、将来歴史考古学がさらに発達したら、もっと鮮明な中世の船橋像が描けるのではないかという期待を抱かせてくれます。