目次
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第2章 中世の船橋
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戦国武将たちと船橋
大神宮門前の「市」
その一方で胤辰は天正6年(1578年)に、船橋地方の商業活動を振興させ、かつその統制をはかって「市」を開設させました。その古文書(「高城氏印判状」)には「当年より船橋の郷に於て神明の御町相立て候」とあります。胤辰は同時に市での禁止事項を示した「禁制」を大神宮神主に与え、違反した者は罪科に処すと宣言しています。
高城胤辰が出した「禁制」
ただし、この大神宮門前での市町の開設は、地名ともなった五日市・九日市の「市」とは別のものと考えられます。永禄3年(1560年)の「万栄判物」にすでに九日市場の名が出ているためです。
「神明の御町」と書かれた市町と、旧来の五日市・九日市との関連はまだ解明されていませんが、戦国末期の船橋は大神宮周辺を中心に、近隣で最も開けた場所として、繁栄していたことがしのばれます。