各地で地侍などを傘下にして領土を拡大した戦国大名は、戦闘による淘汰をくり返し、いくつかの有力者が覇権を争う局面となりました。
最初に京都入りを果たした織田信長は、全国統一の過程で反乱によって敗死し、その跡は豊臣秀吉に引き継がれました。
秀吉の死後は徳川家康が政権を握り、江戸に幕府を開きました。江戸幕府は諸大名の上に君臨する強大な体制を確立し、以後270年近くにわたって政権を維持しました。
幕府権力は米を中心に農業の振興を図り、また交通・運輸の整備にも力を注いだので、貨幣経済が全国に浸透するようになりました。
しかし、貨幣経済の発展は農村の貧富の差を広げ、また、消費生活を送る武士階級にも負債となっていきます。江戸中期以降は幕府・藩とも借財をかかえるようになり、年貢増徴を図りましたが、農民の抵抗が強く、思うような成果は上がりませんでした。
そうした時期に欧米列強が日本に開国を迫り、海防のための負担が増大し、幕藩体制は大きく動揺します。