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第3章 近世の船橋
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徳川家康と船橋
徳川家康の江戸入り
小田原北条氏滅亡後の関東へは、秀吉の命により徳川家康が移封されました。家康は大方の予想に反して、小田原や鎌倉には本拠を置かず、北条氏の支城かおる寒村であった江戸を居城に決め、8月1日に江戸に入りました。
江戸に入った家康がすぐに着手したのが江戸城と周辺の整備、家臣の知行割(配置割り)でした。徳川家の財政基盤ともいうべき蔵入地は江戸近辺に集中させ、家臣団のうちで小知行の者を主にその外に配置し、有力武将は遠方の外様大名の付近に配置しました。
江戸に近い船橋の地は、小知行の家臣の知行地と、代官の管理支配する土地(蔵入地)になったと想像されますが、市西部一帯が成瀬正成に与えられたことが知られるほかは未詳です。
徳川家康肖像(船橋大神宮蔵)