「江戸時代の船橋は、陸上交通の要所に位置していたので、宿場として大いに発展をした」
船橋の歴史について記した本でよく目にする記述ですが、これにはいくつかの注釈が必要です。
その一つは、宿場として繁栄した江戸中期以降には、船橋と呼ぶ行政区画はなかったということです。船橋というのは五日市村・九日市村・海神村を合わせた総称だったのです。
二つめは少しややこしい話になりますが、船橋は正式には「宿場」ではなかったということです。江戸時代の宿場というのは、原則として道中奉行が管轄した所のことで、同じような交通業務をしていても、そのほかの所は継場(継立場)といったのです。船橋はその継場でしたが、慣例として船橋宿と呼ばれることが多かったのです。