江戸時代の船橋浦周辺(『下総国地理之図』より)
船橋浦の献上御用については、元禄16年(1703年)の『御菜御肴差上通』という記録が、わずかに1冊分残されていますので、一部を抜き出してみましょう。
九月廿五日 同日 同日
一 石かれい 三枚 一 こち 弐本 一 石かれい 三枚
一 こち 弐本 一 石かれい 三枚 一 こち 弐本
一 きす 十五 一 いな 十弐 一 きす 十五
一 いな 十 一 きす 十弐 一 いな 十七
同日 右三回分地引あみより差上申候
一 こち 弐本
一 石かれい 三本
一 いな 十三
一 きす 十五
これが1日分で、月に6日、江戸城近くまで運上したといいます。記録に見える魚の種類は石ガレイ、コチ、イナ、藻ガレイ、キス、ナヨシ、ハタ白、ホウボウ、アジです。
献上魚について書きとめた『御菜御肴差上通』
船橋漁師は右のような魚介献上の御用をつとめるかわりに、広大な漁業を占有することを許されていました。その範囲は、東側は鷺沼(習志野市)前面の落の澪、西側は湊(市川市)と猫実(浦安市)の前面の貝ヶ澪で、沖は船の櫂の立つ所までとされ、扇形に広がるものでした。