鷹場村々の負担

 鷹場の村々は、鷹狩りや訓練の時には人的、経済的な負担を負いました。まず市域の御拳場では、将軍の鷹狩りはなかったようですが、鳥見役と呼ばれる役人の来村の際には、人足や経費を負担しました。御捉飼場では訓練の時や野廻り役という役人の来村の際に、同様の負担を負いました。
 それにもまして鷹場では、日常の生活に種々の規制が加えられていました。雁・魚等を捕らないこと。稲刈りの後の田に水を張らないこと。病鳥や落鳥があったら役人に届け出ること。鷹の訓練の時には犬をつなぎ、口つきのない馬に乗らないこと。家作や道路の普請も鷹場役人に届け出ること。訓練の時は川等に小橋をかけ、御鷹御用の者以外は使用させないこと(この橋を鷹匠橋といいます)。訓練の時はかかしを取り払っておくこと。芝居や開帳など人が大勢集まるような行事をしないこと―など実に細かい規制でした。
 

豪華によみかえった鷹匠橋(海老川、夏見5丁目・東町境)

 
 船橋市域に限らず、江戸から10里内外の村々は、この鷹場の負担と規制に少なからず悩まされていました。しかしそのことは、鷹場制度そのものが、将軍の鷹狩りのためであった以上に、農民統制の役割を担っていたのですから、当然といえば当然だったのです。