江戸時代も塩業の本場は瀬戸内地方で、その製品は十州塩と呼ばれていました。これは江戸前期には大坂を中心とする近畿地方に売られていましたが、流通機構が整う江戸中期になると、江戸へも大量に送られるようになりました。そのため、行徳周辺の塩は江戸以外の関東へ販路を広げざるを得なくなり、利根川水系の船運を利用して上州・野州・信州等へ送られました。
また、圧倒的な量を誇る十州塩に対して、当地方の塩浜が製品に工夫したのが、「古積塩」にする方法でした。これは生産された塩を、ワラ筵を敷いた穴の中に入れ、屋根をふいて雨を避け、1年余り貯蔵するもので、苦汁等の水分が除去され目減りしなくなります。この古積塩は関東農村で歓迎され、当地方の塩浜存続に大きな力となりました。