まず、俳句の大成者松尾芭蕉は、貞享4年(1687年)に門人二人を伴ってこの道を鹿島に向かいました。その時の作品が『鹿島紀行』ですが、それには鎌ヶ谷の先の馬牧のことは詳しく書いていますが、船橋市域のことにはふれていません。
江戸後期の蘭学者・画家として知られる渡辺崋山も、木下街道を通って銚子方面へおもむいています。その時の写生帖『四州真景』には、やはり「釜原」(鎌ヶ谷原)の野馬を描き、船橋市域の絵は描いていません。
江戸時代の市内の木下街道沿いは、農家が少しあるだけで、あとは畑と林の広がる台地でしたから、両者の興をひかなかったのでしょう。
芭蕉と崋山も通った木下街道