虚無僧寺清山寺

 虚無僧といえば深編笠をかぶり、尺八を手に僧衣を着ているという姿が時代劇でもおなじみですが、江戸時代の船橋には数少ない虚無僧寺がありました。船橋大神宮の表鳥居の近く、宮本2丁目4番にあった清山寺です。
 虚無僧は普化宗という疑似宗教で、尺八を吹くことが読経と同じとするもので、ごく一部の専門家のほかは、武家浪人が世をしのぶ仮の姿として入門するのが原則でした。
 

旅姿の虚無僧

 
 船橋の清山寺は天保時代(1830年代)に、仙石騒動の忠臣神谷転が友鵞という名で虚無僧になっていたことで有名でした。仙石騒動というのは但馬(兵庫県)出石藩仙石家のお家騒動です。この騒動は、現在の研究では藩財政立て直しをめぐる主導権争いと分析されますが、世上では主家乗っ取りを企てる悪家老と、それを防ごうとする忠臣派の抗争とされてきました。そしてその忠臣劇のヒーローが神谷転だったのです。
 しかし、船橋の清山寺は明治初年に廃され、戦前に碑なども移されて跡形もありません。