海神の戦闘

 市川・船橋戦争の最後の戦闘は、3日午後に海神で起こりました。行徳から船橋へ向かって進撃した福岡藩兵と、中山から船橋に応援に行こうとする脱走方江原らが、市川道(佐倉道)と行徳道の分岐点付近で銃撃戦を展開したものです。この戦闘は接近戦で激しいものでしたが、福岡藩の勝利に帰しました。海神と西海神ではそれぞれ31軒、60軒の家が焼失する被害に遭いました。
 海神の戦闘については、幕府方隊長で後に赦されて政界に進出し、また教育者として名をなした江原鋳三郎(素六)の伝記に詳しく載っています。