市川・船橋戦争は戊辰戦争全体からすれば、小さな局地戦にすぎませんが、房総の歴史においては大きな転機となりました。それまで、表面上は新政府方・旧政府方いずれへも協力の姿勢を示していた多くの中小藩が、この戦争を契機に完全に新政府寄りに転じたからです。まさにこの戦争が、近世から近代へ脱皮する大手術の役目を果たしたのです。
それから130年近く経た現在、戦争の遺跡はわずかに残る戦死者の墓のみで、海神念仏堂、宮本了源寺・慈雲寺等7か所に見られるだけです。
旭町共同墓地にある脱走方戦死者の墓
海神念仏堂にある官軍方戦死者の墓