日本は欧米列強の強大な軍事力によって開国させられ、諸藩に対する幕府の権威は失墜しました。幕府に代わる国家建設を目指したのは、薩摩藩・長州藩を中心とする勢力でした。これらは幕末に強引に借財整理を遂げ、また特産品専売などに成功した藩です。
幕府側との戦闘に勝利した新政府は、欧米から機械・技術を導入して資本主義の育成につとめ、富国強兵・殖産興業・文明開化をスローガンに、上からの近代化政策を次々と打ち出しました。その間、藩閥専制打破を訴える自由民権運動が起こりましたが、政府は国会開設と憲法制定により、その鋒先をかわし、国家体制を確立しました。その後、日清・日露戦争の勝利と、工業の発展による産業革命の進展により、日本は明治末期には、帝国主義国家の一員となりました。
第一次大戦後には、工業のいっそうの発展により都市への人口集中も進みましたが、農村は停滞気味でした。その間に生まれた政党政治は、経済の慢性的不況や社会不安に対応しきれず、軍部勢力の台頭を招きました。欧米列強に遅れてアジア進出を始めた日本は、強引な政策により国際的孤立の傾向を強めます。満洲事変を契機に軍部は政治の指導権を握り、ついに太平洋戦争へと突入しました。
しかし、戦争は日本の敗戦で終了し、進駐軍の管理下で民主化政策が進められ、日本は民主主義国家に生まれ変わります。戦後数年は、食糧不足や産業の停滞などで、国民の生活は厳しいものでしたが、昭和30年代には経済の高度成長が始まり、やがて世界有数の経済大国に成長しました。