府・藩・県三治制

 前章で記した戊辰戦争のさなかの慶応4年(1868年)閠4月、新政府は「政体書」を発表して基本方針を示し、政治組織を定めました。
 地方は府・藩・県に分けて統治されることになりました。府は旧幕府の城代・所司代・奉行の支配地、藩は大名領、県は旧幕府の郡代・代官・旗本の支配地です。船橋地方は下総知県事の管轄下となりますが、翌明治2年1月には葛飾県と改称されました。ただ西海神だけは小菅県の管轄でした。