廃藩置県

 三治制では藩が存続して中央集権制の実効が上からないため、明治4年7月に新政府は廃藩置県を断行しました。当時房総には24の藩がありましたが、すべて県とされて旧藩主の知藩事は免官となりました。
 同年11月には県の統・廃合が行われ、全国3府302県が3府72県に整理されました。この時房総は次ページの図のように、印旛県・木更津県・新治県の3県となり、船橋地方は印旛県に属しました。
 

〈三県時代の房総と常陸南部〉