県の下の行政単位も何度も変わりました。
明治4年4月政府は戸籍法を出し、新しく戸籍区を設定し、戸籍吏として戸長・副戸長を置くことを定めました。翌年には数か町村で小区を、数小区で大区を設置し、大区に区長、小区に戸長を置く法令を出しました。たとえば九日市村は第1大区3小区等とされたのです。小区内の村数は数村から20数村まであり、まちまちでした。この大区小区は途中で区の組み替えもあって非常に複雑です。またこの制度は、旧来の町村のつながりや慣習を無視したもので、住民の抵抗を招いた上、実効にも疑問な点があり、明治11年に廃止されました。