二和・三咲の経過

 二和・三咲では、会社役員の分担割りで二和は星野清左衛門、三咲は西村郡司が担当となり、その配下の者たちが現地の住居や地割り等の準備を進めていました。そこへ前記のように移住が始まったのです。
 二和へは3陣で計159世帯548人、三咲へは2陣計164世帯599人が移住し、狭い長屋で慣れない生活に踏み出しました(後、会社の都合で計69世帯228人が他地区へ再移住させられました)。
 しかし、開墾生活は想像以上にきびしいものでした。土地は原野で地味が悪い上に、干ばつには常に悩まされました。また防風林がないので春先等には大風で、表土と共に作物まで吹き飛ばされることもありました。その上、移住者は農作業未経験者も多く、また貸与の農具が少ないなど、悪条件が重なっていました。
 そのため、開墾に失望して逃亡・退転する人もかなり出て、2年余りで4分の1が開墾地を去りました。