「習志野ノ原」の誕生

 6年4月29日、近衛歩兵の四個大隊と騎兵の一個中隊を引率した明治天皇は、当時小金原の一部で大和田原と呼ばれた原野へおいでになりました。参加した近衛兵の士卒の数は2800人といわれ、陸軍大将西郷隆盛も側に控えました。
 演習中は天皇も原野に天幕を張った中で2泊され、雨をついて行われた実戦さながらの演習をごらんになったのです。実戦の総指揮をとったのは陸軍少将篠原国幹でした。
 

「下総国習志野原大調練天覧之図」二代目国輝画。明治天皇の目前での演習の光景ですが、実景ではないとの説が有力(西図書館蔵)

 
 演習が無事終了してしばらくした5月13日に、この演習地を「習志野ノ原」と命名する旨が、天皇の名で仰せ出されました。実際の発案者は随行した宮内少輔の吉井友実だと伝えられます。また、習志野という地名は習練をする野の意味で付けられたといわれますが、一説では指揮ぶりがみごとだった「篠原に習え」の意味だともいいます。
 

明治天皇の野営跡に建てられた記念碑(習志野台4丁目より郷土資料館に移転)