明治18年、太政官制が廃止されて内閣制度が発足すると、文部大臣森有礼は翌年に次々と学校令を公布しました。
そのうち、地方と最もかかわりのあるのが「小学校令」です。これには①小学校は尋常小学校(4年)と高等小学校(4年)とすること、②従来の3か年義務制を4か年とすること、③経費は授業料本位とし、不足する場合は町村費をもって補うこと等が盛り込まれています。
明治22年に町村制が施行されると、新町村ごとに学校数や位置が設定され、学校体制が確立されていきました。また校舎も寺院借用から独立校舎建築へと転換されるようになりました。
さらに就学率は県内でも向上の一途をたどり、26年に60パーセント、32年に70パーセント、36年についに90パーセントを突破しました。この就学率は以後世界に誇る高率を維持していきます。
その後、40年に義務教育年限が6年に延長され、これは第二次世界大戦中まで引き継がれました。