よく知られているように、わが国における鉄道事業の始まりは、明治5年(1872年)の新橋・横浜間の開通です。この鉄道は官立ですが、明治10年代になり、日本鉄道会社線が上野・高崎間に開通して良好な営業成績を上げると、全国に民営の鉄道建設ブームが起こりました。
千葉県内でも、明治10年代末に鉄道敷設の運動が急速に高まりましたが、資金の問題から馬車鉄道の計画が多く、汽車による鉄道計画は20年から公にされました。
20年11月に、武総鉄道会社と総州鉄道会社が、相次いで創立の申請をしました。その計画ルートは武総鉄道が本所~市川~船橋~千葉~佐倉~成田~佐原、総州鉄道が本所~市川~船橋~千葉~佐倉~八街~芝山~八日市場~銚子でした(本所は現錦糸町駅に相当)。
しかし、当時は利根運河の開さくが決まったばかりで、また従来からの水上交通の実績が評価されていたところから、両社とも建設計画は認可されませんでした。