大正6年の大津波

 船橋は、現在は自然災害の少ない地域ですが、海岸堤防が弱小であった昔は、海沿いを中心に暴風・津波(高潮)のために大きな被害をこうむったことが何回もありました。
 明治以後、最大の被害を受けたのは大正6年の大津波です。この津波は現在でいう地震の津波ではなく、暴風雨の高潮によって起こりました。
 津波をもたらしたのは9月30日夜から10月1日朝にかけて、すごい速度で東日本を通過した台風でした。台風は静岡県に上陸して東京西部を通過しましたが、東京では気圧952ヘクトパスカル、最大風速43メートルを記録しています。そしてこの台風は、東京湾の西側を満潮時近くに通過するという、最悪のコースをとったのでした。
 船橋町や葛飾村では30日夜半近くから南東の風が強くなり、時おり豪雨が降りかかりました。真夜中になると風は益々強さを増し、目覚めていた多くの人が不安におののいていた午前2時過ぎと3時過ぎの2回、暴風による高潮(津波)が海岸を襲ったのです。
 この暴風・津波による被害はすさまじく、船橋町で死者・行方不明者62人、流失家屋104戸、全壊家屋44戸、床上浸水814戸に上り、葛飾村では死者2人、流失家屋13戸、全壊家屋13戸、床上浸水56戸の被害を受けました。また、内陸の八栄村・塚田村・法典村でも全壊家屋が21戸ありました。
 このように、大正6年の暴風・津波の被害は、現在では想像もつかないほどひどいものだったのです。