関東大震災

 大正12年9月1日午前11時58分、関東・東海地方は突如激震に見まわれました。相模湾の地下を震源とするマグニチュード7・9の大地震が起きたのです。被害は全壊家屋約12万戸、焼失家屋約45万戸、死者・行方不明者約14万人に及びました。特に被害の大きかったのは東京市・神奈川県・千葉県南部で、船橋地方は家屋の一部破損程度で済みました。
 しかし、東京東部の罹災者の多くが千葉県に避難したため、船橋地方でも官民一体となった救護活動が続けられました。船橋町内で収容した避難者は船橋小学校1200人、蓬来座400人、基督教会30人、大神宮客殿50人等約1800人に上りました。炊き出しには習志野原の軍隊から借りて来た大釜を五つ並べ、2000人分もの握り飯を作ったといいます。また、近隣の村から西瓜、野菜、フカシ芋等が寄せられ食料には事欠かず、避難者から喜ばれました。
 また、電話が全く不通となった通信に、船橋無線電信所が大活躍をして、その評価を高めました。
 しかし、一方では災害時の常で流言蜚語が飛び交い、「朝鮮人が海から襲来した」として半鐘を乱打したりしました。さらに、当時建設中の北総鉄道工事に従事していた朝鮮の人々の一部等が、パニック状態の地元自警団に殺害されるという不幸な事件が起こっています。
 歴史から学ぶ最大の教訓は、このような、大きな天災・人災を繰り返さないようにすることなのではないでしょうか。
 

関東大震災後、9月6日に飛行機からもまかれたビラ